2025年8月22日金曜日

日本一時帰国での神様のご計画~母の救い

                                          (実家から見えた虹)


 2025年3月、私が主人と日本一時帰国中に、母が腰に激痛を覚え、圧迫骨折していることがわかりました。弟夫婦に母を託して、アメリカに戻りましたが、2025年4月、私の母が圧迫骨折で入院し、その後、退院して2日で、再入院になってしまいました。

今度、退院する時には、日本に帰って助けてあげたいと願って、日本一時帰国のタイミングを祈っていました。

7月に入って、デボーションの箇所、使徒22章、「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす」の箇所から語られ、日本に行くことが御心ではないかと思い始めました。

その翌日あたりに、弟の連絡から、母の退院がこの夏の白馬キャンプの日程の時であることを知り、神様の導きと確認しましたが、日が迫っていて、色々考えてしまい、躊躇してしまいましたが、いくつか励ましを受け、踏み出すことができました。


出発当日、空港に着くと、私の乗る飛行機が突然の大幅な遅延となっているのを知りました。サンフランシスコの乗継便に間に合わないため、便の変更のために、航空会社に電話で問い合わせなければならず、しかも電話がつながるのに1時間近く待たされ、可能性のあった2便を逃し、結局、ニューアーク空港で終日を過ごし、夜の便で、ロサンゼルス経由で、1日遅れで羽田空港へ着きました。今回は、本当に「遠くあなたを遣わす」と御言葉にあるように、遠かったです。

この間は、マーリン・キャロザース師著「Power in Praise(賛美の力)}を持参していたので、どんな状況でも、どのような感情があっても、神様に信頼して賛美し続けることができました。信仰の訓練がありました。


日本に到着すると、その日のうちに、入院中の母のお見舞いに、弟夫婦と訪れました。

母はとても痩せて、やつれてしまっていましたが、私がわざわざ来てくれたと、とても喜んでくれました。弟によれば、母が久しぶりにとってもよい顔をしていたそうです。

退院まで残り3日になり、母の好きなかぼちゃの煮物を4切れや、デパートで買った大きななプリンを買ってもっていき、量が多すぎるだろうと思ったら、残さずに、美味しいと言って平らげてくれたのも嬉しかったです。


退院の日は、私は白馬キャンプに参加でしたが、各長老のメッセージに聖霊の力を感じ、信仰の歩み、神の言葉がなる、ことがこれまで以上に心に響き、励まされました。


母が退院し、自宅に戻ってきました。弟夫婦が母の介護認定を受けて、デイケアサービス(週2回)、訪問リハビリ(週2回)、訪問看護(月1回)と準備万端にしてくれていて、それだけでなく、母をよく見てくれているのが分かり、感謝しました。


母は圧迫骨折の癒着がまだはっきりと確認できていないようで、椅子に座っていられる時間が30分程度で、痛みが出て、横になって休む必要がありました。

緊張の面持ちで出かけた、デイケアサービスの初日、帰ってくると、「やっぱり無理だ~」と厳しそうな顔をして戻りましたが、時間がたつと、デイサービスでのランチが、料亭の食事にようにおいしかったとか、楽しかったとか、感想を言うようになり、次回も行くつもりになっていました。本当によかったです。


母はピックアップ式の歩行器を利用して、自宅で歩いていますが、移動する際に何かを手に持っていたりすると、歩行器から手を離してしまったり、バランスを崩し、2回大きな転倒がありました。幸い、ケガも打撲もなく、痛みも出ませんでした。訪問リハビリの療法士さんたちに相談して、母の家の中での動線を検討していただき、日常必要な物の置き場所、手すりを新たに何か所かつける場所を決めて、実行しました。すると、母がとても移動しやすくなったと感謝していました。


私は母の3度の食事、洗濯、掃除、母のコルセットの調整、床ずれの外傷の薬の塗布の他、日常生活での補助を含め、膀胱炎に、右足の神経麻痺、腹痛を伴う下痢になりやすいため、母の体調管理をなし、弟夫婦と情報共有していました。他にも、母からの色々な頼まれ事で外出もあり、1日、バタバタしていました。


アメリカに戻る8月7日が近づいてきた時、母が転倒したり、具合が悪くなったりして、慌ただしく、とても福音を語るような状況ではなく、しかも、私の語る用意ができていませんでした。

同時に、母は8月20日頃まで私が日本にいると思っていたようで、あと4日で私がアメリカに戻ることを知ると、相当なショックを受けて、「もうちょっと長くいれないの、1日でも多くいれてほしい」と言ってきました。

祈ってみたら、もうしばらく残って、母を助けることが御心ではないかと思い始め、主人も後押ししてくれました。それから、飛行機のチケット変更ができるか、変更手数料はいくらか、と調べると、私が購入したチケットは、なんと無料で変更できるチケットでした。そんなチケットを買っているとは知りませんでした。

旧約聖書のデボーションの箇所から、ヨセフの「7年の豊作」から、1週間と思い、1週間滞在を延ばすことにしました。母に滞在延長を伝えると、満面の笑みで、両手をたたいて喜んでくれて、それだけでも延長を決めてよかったと思ったほどです。


長年、母の救いのために祈り続け、これまで少なくとも3-4回は、福音を伝えていて、その度、断られたり、わからない、と言われていました。この3月、日本一時帰国した時には、福音を伝えようとする主人に、あとで私に「宗教のことは言わないで」と主人に伝えるように口止めされたくらい、心が閉じていました。そんなことがあったので、迷いもあり、また断られるかな、という思いも走り、どう切り出し、どう語ったらよいか、どう罪について伝えたらよいか、神様の知恵をと切に祈っていましたが、与えられません。


滞在延長を決めた日の旧約のデボーション箇所から、エジプトに遣わされたのは、家族の救いのため、と語られ、神様はやはり福音を伝えることを導いておられると、語られました。今回の滞在では、たとえ結果がどうであれ、母に福音を伝えることを一つの使命と再確認しました。


また、面白いことがありました。日本では、私は母のお財布を預かって、日常の買い物をすること許されてましたが、1週間延長した、ある日、いつものスーパーに行き、清算する時、お財布に入れている、スーパーのポイントカードがひっかかって、お財布のチャックを開くことができず、格闘してました。カードが何かにひっかかっていたんですが、それがお守りだったんです。白い紙にお守りと書いてある、2センチくらいの小さなもので、中には、観音像がプリントされた切れ端が入ってました。どうしようと握っていたら、そのベニヤ板が割れてしまい、これは神様が露わにしてくださったのではと、処分しました。

この出来事を通しても、神様が福音を伝えることを導いておられるとまた再確認しました。

実家では、母のいない時、イエスの勝利の賛美を歌い、家族の救いを宣言して部屋の中を歩きました。

その中で、母が、私がアメリカに行く前に自分の部屋に飾っていた、「愛」と毛筆で書かれた色紙を、リビングルームに飾っていて、その前に家族の写真を2つ立てていたのを見て、「愛」が通じる!、愛のポイントで神を紹介することだと思いました。

その「愛」の文字は、本田弘慈先生(日本のかつての大伝道者の牧師先生)が書かれた毛筆でした。

そして、日本滞在の最終日の夜、母に、私が信じている神様について話させて、と切り出し、神の愛、罪、キリストの十字架と福音を伝えることができました。

驚いたことに、母は抵抗することもなく、耳を傾けてくれて、心がやわらかくされていることを感じました。信じるところまで導こうとは思っていませんでしたが、イエス様を信じない?と聞くと、うなずき、共に信じる祈りをすることができました。私は部屋に戻って、神様への感謝で、泣きました。

神様のみわざとしか言いようがありません。そして、神様の時であったことを思います。

ご計画をもって導き、助けてくださり、素晴らしいことをなしてくださった、主に心から感謝しています。

そして、多くの兄弟姉妹の励まし、とりなしのお祈りを受けて、信仰の歩みを、祈りを続けることができました。感謝いたします。

すべての栄光を主に帰します。

今後も、母の信仰のフォローアップのため、癒しのため、祈り続けたいと思います。
















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